放下鉾(ほうかほこ,ほうかぼこ) 新町通四条上ル

※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。
(C) 1999-2005 Mira House. All rights reserved.


 鉾の名前は,真木の中ほどの“天王座”に放下僧(ほうげそう)の像を祀ることに由来する。
 放下(ほうげ)とは,妄念や者への執着を捨てて俗世間を解脱することで,放下僧は街角で芸をしながら仏法を説いた僧。

 鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し,形が洲浜に似ているため“すはま鉾”とも呼ばれる。
 明治の中期に胴組,天井,柱,屋根などが大改装され,その後金具類も整備されてきたため,明治以降の工芸装飾を見ることができる。破風正面の三羽の丹頂鶴(後面は二羽)は,明治の四条円山派の画家,幸野楳嶺(1844-95)の下絵を高浮彫し,1917(大正6)年に完成したもの。

三光

 以前は長刀鉾と同様に生稚児が乗っていたが,1929(昭和4)年以降,操りの稚児人形に変えられた。稚児人形は,久邇宮多嘉王(くにのみやたかおう)殿下によって三光丸(さんこうまる)と命名され,巡行の時には稚児のように鉾の上で稚児舞いができるように作られている。
 三光丸の衣裳は,1995-96(平成7,8)年に新調されている。

 異国情緒豊かなフクロウの見送は,皆川泰蔵による麻にロウ染めの「バグダッド」で1982(昭和57)年製。古見送の錦綴双鳳唐子遊楽図は,1828(文政11)年に京都西陣で作られたもの。

 下水引は,以前は与謝蕪村(1716-83)下絵の琴楳書画図であったが,1991(平成3)年に栂尾高山寺の国宝「華厳宗祖師絵伝図」を下絵にした綴織を新調。
 三番水引の青海波におしどり図綴織は,駒井源gの下絵によるもので,現在用いられているものは復元品。
 天水引は,1996(平成8)年に新調されている。

 花文様の前懸及び胴懸は,インドやペルシアの絨毯。旧胴懸として,16世紀製の描絵玉取獅子,牡丹,鶴文様の朝鮮毛綴が保管されている。

稚児舞をする稚児人形(三光丸)
ロウ染めの見送「バグダッド」

新町の巡行と鉾解体 | 宵山の風景と雨の巡行 | 写真集



祇園祭ホーム   Home