(ほうしょうやま) 東洞院通松原下ル |
※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。 |
以前は“花盗人山”(はなぬすびとやま)と呼ばれており,丹後守平井保昌(たんごのかみひらいやすまさ)と和泉式部(いずみしきぶ)の恋物語に取材する。 藤原大納言元方の孫で,武勇に和歌に才能を発揮した保昌は,恋する和泉式部から,御所の紫宸殿(ししんでん)前の紅梅を手折ってほしいという難題を出される。苦労して一枝手折ったものの,発見されて矢を放たれた保昌は,ようやく紅梅を持ち帰って恋を実らせた。 | |
御神体は,頭が明応9年(1500)の作品,胴は寛政(1789-1800)頃の町内の彫刻師,勇祐の作品であるとされ,緋縅(ひおどし)の鎧に太刀をさし,梨地蒔絵(なしじまきえ)の台に乗せた溢れんばかりの紅梅を差し出している。 前懸と胴懸は,山鉾町に住んでいた画家,円山応挙(1733-95)原画の逸品。 見送は,福禄寿と弁財天に唐子を配した「寿星図」綴錦で,寛政10年(1798)の作品。古見送である中国明代の「仙人図」刺繍は掛け軸として保管されている。 水引の雲龍波濤文様に鳳凰鶴虎を配した「刺繍鳥獣文」は,孔雀の羽を縫い込んだ珍しい刺繍。 宵山では,山の故事にちなんで縁結びのお守りを授与する。 |