郭巨山(かっきょやま) 四条通西洞院東入

※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。
(C) 1999-2005 Mira House. All rights reserved.


 前懸は,旧来は1785(天明5)年に作られた唐美人遊楽図の絽刺(ろざし)だったが,1983(昭和58)年から上村松篁筆の秋草図。
 胴懸は,呉道子描龍図と陳平飼虎図の刺繍で,やはり1785年の石田幽汀(1721-1786)下絵による松屋源兵衛の作品だったが,1987(昭和62)年に上村松篁氏による「花の汀図」および「春雪図」を新調。
 見送は,1815(文化12)年製,丸山応慶(1790-1838)下絵による山水仙人図だったが,1994(平成6)年に上村松篁筆の「都の春図」の綴織を新調。
 後懸は,1875年改修の黒ビロード地福禄寿図刺繍であったが,1991(平成3)年に上村松篁氏の下絵による桃山時代の屏風を原画にした「阿国歌舞伎図」綴織に新調された。

 山には普通屋根がないが,日覆障子を乗せている。また,桐桜菊の欄縁の下に金地彩色宝相華文様(きんじさいしきほっそうげもんよう)の板絵の乳隠しが用いられ,古い形式を残している。

 別名,釜掘り山(かまほりやま)。
 貧しくて母と子を養うことができない郭巨が子を山で土に埋めて捨てようとすると,土の中から黄金の斧が現れ,その後,母に孝養を尽くしたという中国の史話,二十四孝の郭巨釜堀りの故事に由来する。

 鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の二体の人形は,1789(寛政元)年金勝亭九右衛門利恭の作。

 


 

新町通の巡行

 


 

雨の巡行

 貴重な装飾品たちは,ビニールシートで保護される。

 この年の装飾には,新調された上村松篁筆のものではなく古前懸・古後懸が使用されていた。見送がつけられていないため,後懸がよく見える。

宵山の風景 | 写真集



祇園祭ホーム   Home