南観音山(みなみかんのんやま) 新町通錦小路下ル

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 “あとの祭り”の最後尾を行く曳山(ひきやま)で,先頭を行く北観音山が「上り観音山」と呼ばれるのに対し,「下り観音山」(くだりかんのんやま)と呼ばれる。
 応仁の乱の時代から明治時代までは隣町の北観音山と一年交代に出されていた。

 東海道五十三次や指南の語源となった大乗仏教経典の一つ華厳経の説話において,善財童子(ぜんざいどうじ)が順に教えられた53人の聖者を訪ねて南へ南へと菩薩道修行をした話に取材する。
 28番目に訪ねた観音は美しい南海のほとりに住み,あらゆる苦悩から人々を救うことを善財童子に教えた。

 北観音山と同じ楊柳観音像(よくりゅうかんのんぞう)のほか善財童子を祀るが,悠然と瞑想する楊柳観音像は鎌倉時代の座像で天明の大火で頭胸部のみが残ったもの。他の部分と善財童子像は,江戸時代の木彫彩色像。

 山の上に立てた真松には北観音山と同じく木彫りの尾長鳥がとまっている。
 真松は毎年鳴滝から2本届けられ,北観音山と南観音山の代表がクジを引いて良い方の松を選び取ることになっている。

 また,巡行の時には山の後ろから柳の大枝を垂らし,観音山の特徴を示す。この柳の枝は,楊柳観音が薬草を表す柳を持って人の中へ出向き,人々を病苦から救ったという観音懺悔にちなむもので,諸病を防ぐ意味があるとされる。

 山の四隅からは,菊竹梅欄の木彫の薬玉(くすだま)を垂らしている。

 前懸は,以前は珍しいペルシア絹絨毯であった。

 天水引は,塩川文麟下絵の「四神の図」。

 下水引は,1995(平成7年)に復元新調された「繻子地雲龍図縫伏」と加山又造原画による「飛天奏楽」。

 見送は,加山又造によって描かれた「龍王渡海図」で1988(昭和63)年新調。古見送として,中国明代の「雲中青海波文様」(うんちゅうせいかいはもんよう)綴錦を所持する。

 保有される旧前懸の異无須織(いむすおり)ペルシア金銀絹絨毯は17世紀製の逸品,インド更紗旧打敷(うちしき)は年紀のあるもので日本最古(1684)とされる。

 宵山では厄除けのお守りが授与されるほか,土鈴などのグッズが販売され,宵山深夜には楊柳観音像を神輿に乗せて走り回る“あばれ観音”が行われる。

 


 

新町通の巡行


車方が進路を微調整する

山の下には辻回しに使う竹

 


 

雨の巡行


下水引は「飛天奏楽」

南観音山は網隠しをシートで覆っていたのみ

辻回しと宵山の様子 | 写真集


※関連リンク: 京都祇園祭 南観音山の一年



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