(もうそうやま) 烏丸通四条上ル |
※当ページの転載・複製は,一切お断り致します。 |
“筍山”(たけのこやま)とも呼ぶ。中国の史話からの取材で,二十四孝の一人,呉の国の孟宗が,雪の中,病気の母が欲しがる筍を探して歩き回り,とうとう掘り当てた姿を現している。孟宗の母は元気を取り戻し伝説となった。町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町であったことから,この伝説が取り入れられた。 唐人衣裳に笠をつけ,右手に雪をかぶった筍,左手に鍬をかついだ人形は,七条大仏師康朝左京作。欄縁の彫金群鳥図の金具は幸野楳嶺(ばいれい)下絵。鳳凰,孔雀,鷹,燕,千鳥,鴨など15種類の鳥が描かれている。前懸は,1984(昭和59)年に中国の官服を直して作られた紺地五爪群龍図刻系。1940(昭和15)年以来使用している竹内栖鳳(せいほう)作の見送は,白綴地に墨一色で描かれた孟宗竹林図。肉筆墨画は山鉾唯一で,華やかな彩りのタペストリーが多い中では一寸異色の存在だ。 |
墨一色で描かれた孟宗竹林図 |
宵山では親孝行のお守りが授与される |
朝から大雨が降った2002年の山鉾巡行。 美しい前懸や見送がビニールシートに覆われているのは残念だが,お揃いの白い唐傘姿には晴れの日とは違った趣がある。 |