橋弁慶山(はしべんけいやま) 蛸薬師通室町東入

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 謡曲『橋弁慶』に取材。
 五条大橋の上,牛若丸は左足の下駄の前歯一枚で欄干の擬宝珠(ぎぼし)の上に飛び上がり,右手に太刀を持っており,弁慶は鎧姿で長刀を斜めに構えて戦っている。

 屈指の古い形を残す山で,山籠も真松もない。
 舁山(かきやま)で唯一のくじ取らずで,長い間あとの祭りの一番で巡行していたが,北観音山の復活で,1872(明治5)年以降,あとの祭りの二番手として巡行している。
 古来くじ取らずのこの山は,巡行時のくじ改めの時も奉行の前でも山をまわさず,特別扱いになっている。

 弁慶と牛若丸の人形は大変古いもので,弁慶には永禄六年(1563)平安大仏師康運(こううん)作の銘があり,牛若丸にも天文六年(1537)康運作の銘がある。また,牛若丸の下駄金具の鉄串には美濃国住人 右近信国の銘がある。
 足駄の前歯だけで牛若丸の人形の体を支える制作技術は大変高度なもので,その巧みな人形組みは,山鉾の中でも浄妙山と共に注目される。橋は黒漆塗。

 前懸は,以前は中国明頃の雲龍波濤文様(うんりゅうはとうもんよう)の綴錦だったが,1983(昭和58)年から富岡鉄斎の原画による「椿石霊鳥図」綴錦が用いられている。

 胴懸は,「賀茂葵祭(かもあおいまつり)礼行列図」綴錦で,円山応挙(1733-1795)の下絵とされている。

 水引は,百子文様(からこもんよう)綴錦。
 後懸は,雲龍文様の刺繍。

 


 

新町通の巡行

 


 

雨の巡行

橋弁慶山は,先のまつりの太子山と同じく雨仕様?の黒い懸装品

宵山の様子 | 写真集


※関連リンク: 京都・祇園祭・橋弁慶山オフィシャルサイト



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